2013年6月29日土曜日

エベレスト登頂記念祝賀会開催!PR Girlsも最後のお手伝い!

史上最高齢の80歳で世界最高峰エベレストへの登頂を達成した三浦雄一郎校長の祝賀会が6月28日(金)、明治記念館(東京都)にて開かれました。



祝賀会には支援者や友人ら約700名が参加。
各界からも著名人が多く駆けつけ、会場は祝賀ムード一色に染まりました。

クラーク高校からは東京キャンパス、パフォーマンスコースの生徒約60名が三浦校長へのエベレスト挑戦応援歌「Ambitious」を披露し会場を盛り上げ、大勢の来場者からの注目を集めました。



また、私たち横浜青葉キャンパスの「三浦校長・エベレスト挑戦PR Girls」も会場入りし、会場準備や受付、来賓対応で祝賀会をバックアップ。
結成から半年に渡り三浦校長の偉業をサポートしてきたPR Girlsは、この日が最後の大仕事となりました。



三浦校長はあいさつの中で、「人類の一つの限界を超えることができた。生きている限り可能性がある。チャレンジはまだまだ続けていきたい」と登頂成功を報告。

次の目標については「85歳までに、8201メートルあるヒマラヤのチョーオユーの頂上からスキーで滑走したい」と抱負を述べられ、会場からはその挑戦の大きさに驚きの声が上がりました。

2013年5月29日水曜日

三浦校長の帰国をクラーク生お出迎え!そして記者会見へ!

5月23日に史上最高齢の80歳で3度目エベレスト登頂に成功した、クラーク記念国際高等学校の三浦雄一郎校長が、29日朝、元気に帰国されました!



到着された羽田空港には首都圏のクラーク生代表約100名が「三浦校長、お帰りなさい!」と旗を振って出迎え、千葉キャンパスの安達さんがクラークを代表して三浦校長に花束を贈呈すると、三浦校長は「みんなの応援のおかげで頑張れた。ありがとう」と笑顔を見せて下さいました。

三浦校長は登頂の疲れも見せず、午後には記者会見のためにクラーク・東京キャンバスに入られ、ここでもクラーク生の大歓迎を受けました!



東京キャンパス・パフォーマンスコース生は三浦校長応援オリジナルソング「アンビシャス」の歌とダンスを披露。
この「アンビシャス」は三浦校長のエベレスト挑戦発表記者会見の後のバースデーパーティーでも披露され、三浦校長はじめ参加した方々から大好評のスタンディングオベーションをうけたもの!
三浦校長も感慨深く見守られ、大きな拍手を送られました。



記者会見には報道各社から約150名が参加し、三浦校長の登頂成功への国民的関心の高さが感じられました。

三浦校長は3月末からの約2カ月を振り返り、「過去2回素晴らしい経験をしたが、今回は全員が十分楽しみながら、しばし苦しみながら、でも一生懸命やってたどり着けた」とお話されました。



帰国当日に三浦校長とお会いできる、という大きなチャンスを頂いたクラーク生。「どんなに困難な夢でも、一歩ずつ一歩ずつ努力すればかならず達成できる」という三浦校長の言葉を心から実感できた一日となりました!


2013年5月23日木曜日

世界最高峰への挑戦達成!全国のクラーク生もお祝い!

2013年5月23日現地時間9時(日本時間12時15分)、クラーク記念国際高等学校の三浦雄一郎校長が70歳、75歳に続き、80歳で3度目のエベレスト登頂に成功!まさに人類史上に残る偉業を達成しました!

エベレスト山頂にて
写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

3月29日にクラーク生約100人に見守られる中、エベレスト登頂に向けて飛び立った三浦校長。高度順応も順調に進み、「過去2回の登頂時と比べてもベストな体調!」と言わしめる程の万全なコンディションで山頂アタックに挑まれましたが、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。

2度目のエベレスト登頂の翌年に骨盤と左大腿骨骨折。
76歳という年齢的にも完全復活はありえないと言われましたが奇跡の復活!
また今回の登頂前にも11月と1月に2度の心臓手術を受けられ、大きな困難を乗り越えての3度目の登頂です!

クラーク生に常に「夢・目標を持ち、挑戦することの大切さ。
そしてそのために一歩ずつ、一歩ずつ努力することの大切さ」をお話して下さる三浦校長。

全国のクラーク各キャンパスでも登頂の瞬間をリアルタイムでお祝いしました。



東京キャンパスでの登頂達成の瞬間の様子は他キャンパスともテレビ会議で中継し、全国のクラーク生が一体となって三浦校長の成功をお祝いし、テレビ、新聞などでも多く取り上げられました!

2013年5月15日水曜日

ベースキャンプから、クラーク生に向けてメッセージが届きました!


昨日5月14日、アタックスタート前のお忙しい中、貴重なお時間を割いて三浦校長がクラーク生へのメッセージ動画を送って下さいました!!


ベースキャンプで撮影したもので、クラーク生が出発時に渡した校旗も映っています。
「挑戦の大切さ、それに向かって努力することの大切さ」についてのお言葉がまさに有言実行でとても心に響いてきます。
みなさん、ぜひともご覧ください!





2013年4月1日月曜日

三浦校長 エベレストへ向け出発



3月29日の未明に三浦校長がエベレストへ向けて出発されました。
私たちPRgirlsを含め、首都圏9キャンパス(約100名)の生徒が羽田空港に集合し、三浦校長の無事登頂を願ってセレモニーを開催しました。

 
最後に校長は「80歳でチャレンジできる目標があるというのは幸せで、それも世界最高峰のエベレストであることがすごく嬉しい。エベレストへ向かって高鳴る希望の鼓動を胸に登り続けたいと思う。」とコメントされ、私たちクラーク生には「エベレスト登頂という夢に向かってがんばるので、みなさんも大きな夢に向かって挑戦していって!」というメッセージを送ってくださりました。
4月から新しい学年になります。
私たちも三浦校長に負けないくらい大きな夢・目標をもって、この1年が輝いたものになるようにがんばりたいですね!
三浦校長含め、遠征隊のみなさんが無事登頂され、帰国されることを待っています。



下記のサイトにも三浦校長の様子がアップされています。ぜひご覧ください。


三浦雄大さん・三浦校長・三浦豪太さん

東京キャンパスから三浦校長へプレゼント

横浜青葉キャンパスPRgirls インタビュー
 
三浦校長を囲んでクラークポーズ!

出発される三浦校長を見送りました

2013年1月19日土曜日

三浦校長 手術報告


三浦校長が1月15日に二度目の心臓手術を受けられました。
その手術の報告が届いたのでお知らせします。



三浦雄一郎 カテーテルアブレーション手術報告


1月15日三浦雄一郎は土浦協同病院にて、昨年11月に引き続き、2度目の心房頻拍、不整脈治療を目的とした心臓カテーテルアブレーション手術を行いました。執刀医は過去に三浦雄一郎の手術を担当した家坂義人先生とそのアブレーションチームです。

心臓カテーテルアブレーション手術は鼠蹊部と肩からカテーテルを挿入し血管を伝い心臓内部に入り不整脈をおこしている箇所を電気的に焼勺する手術です。

08年以前に三浦雄一郎は「心房細動」(心房が細かく震える)不整脈治療の為アブレーション手術を行いました。2度にわたる手術の結果、心房細動は完治し75歳エベレスト登頂に繋がりました。

今回の手術の目的は「多源性心房頻拍」と言う不整脈治療の為に行いました。

「心房頻拍」とは多数の起源から心房興奮が起こり、心拍数が不規則かつ早くなり血圧低下や心臓が「空打ち」することで、目眩や行動不能に陥ります。以前にも確認されていた心房頻拍ですが、最近になりその頻度が増し、前回のロブチェイースト遠征では一日に2〜3度記録され、その度に行動が制限されたため、登頂は断念し帰国後の昨年11月14日に最初の手術を行いました。

家坂先生は当初、心臓内部で多数の異常興奮箇所を確認しそれが期外収縮(不規則に心臓を収縮させる)ことから、これらが心房頻拍に繋がるのではないかと考え期外収縮を目的としたアブレーションを行いました。この処置により、期外収縮は従来の10〜5分の一になり期外収縮による心臓の負担は軽減しました。

しかし、その後、運動後や発熱を伴った体調不良時に毎分160/分程度の規則的な心房頻拍が再び確認された事から、この度、2度目の心房頻拍を目的とした手術を行う事となりました。

今回は期外収縮ではなく、心房頻拍ないし上室性頻拍をターゲットとして、アブレーションを実施しました。以前のアブレーション時に誘発された頻拍に、「房室結節回帰性頻拍」があったことが家坂先生の記憶に残っており、同頻拍の誘発を行なったところ、予想が的中し早々に、同頻拍が誘発され、家坂先生のガッツポーズもみられました。

 正常心拍は、心房内の洞結節というところで電気刺激が生み出され、それが房室結節を経由して心室に伝わり、心房・心室を順に興奮させて生み出されます。「房室結節回帰性頻拍」は心房から心室への刺激伝導路が二重になっていて、心房期外収縮に続いて電気刺激が二重伝導路の双方を旋回し、心房・心室に160/分を超すような頻度で伝わり頻拍(早い脈)を引き起こします。今回の手術は、二重伝導路の一方である、不必要な“遅伝導路”を焼勺して電気刺激の旋回を防ぎ、同様の頻拍が二度と起きないような処置を行いました。

現在、経過観察中ですが、家坂先生はこの手術に手応えを感じていると所見を述べられ、また三浦雄一郎自身も手術後「心臓が軽くなった」と体感しております。

今後は経過を見ながら、運動負荷試験、低酸素負荷試験や国内合宿を経て万全の体制を作り2ヶ月後のエベレストに向かいます。

三浦豪太

 
 
 
手術が無事成功し、三浦校長も元気になられたようでとても嬉しいです。
エベレスト遠征まで残り2ヶ月。
元気に三浦校長が出発されることを祈っています!
校長がんばってください☆

2012年11月13日火曜日

三浦校長 遠征報告



三浦校長から遠征報告が届きました。
10月17日から11月6日まで遠征トレーニングをされてきた校長の生の声です!



【三浦校長 ロブチェイースト(20121017日~116日) 報告】

 

ヒマラヤの高所では現地のシェルパでさえ高山病にやられることもある。

もっとも我々はときとして3000㍍あたりで苦しむのだが、シェルパの若者たちも6000

㍍を越えるあたり苦しんだりする。今回の遠征でもやられた。

ナムチェ3400㍍からディンボチェ(4300㍍)の間には我々親子を苦しめる高所悪魔が

いるらしい。この20年近く、この標高の同行程で毎度のように下痢、風邪などの体調

不良におびやかされ続けている。

不思議なことに昨年(2011年)のメラピークでは、いきなり4000㍍あたりまでヘリコ

プターで行ってからの登山活動で、6400㍍のメラピークの山頂まで登ることができた

が、このときは何の高山病も出なかった。やはりナムチェ⇔ディンボチェあたりが、

どうも怪しい。

今回も気を付けたつもりが、まず左奥歯が痛みはじめた。左はまだ大丈夫だと思い、

今回の遠征後に札幌の歯科医(藤森先生)にゆっくり治してもらうつもりで、右奥歯

の治療だけを出発前にお願いしたけど、それが急に疼き、痛みはじめた。3昼夜、痛

みでろくに食事を噛むことが出来ない。

人にはヒマラヤなどの高所・極地へ行くときは、まず歯を治してからといっておきな

がら、自分自身がこんな有り様だ。幸いなことにナムチェにシェルパのおばあさんが

やっている歯医者がいるというので、日曜日の10時の予約で行ってみた。

ナンタルことか、豪太も含めて当隊のメンバーが8人くらいゾロゾロと野次馬とな

り、狭い部屋に入り込んで、カメラなどを取り出して待っている。診療所のすぐ5

メートルほどの登ったところに小さなヒンズー教のお寺があったが、そこをネパール

山岳兵の楽団がラッパや太鼓などでドンかチャチャ、うるさく治療院が振動するよう

な調子はずれの音楽隊の演奏が響く。

これは抜くしかないね~、とおばあさん先生。助手のシェルパ…(皆にいわせると、

この人物が一番不潔そうであったが)に押さえつけられ、本当はシェルパならこのま

ま抜歯するのだけど、日本人やヨーロッパの人たちは「痛み」に弱いから、麻酔の

チューシャをしてあげるよ、と言いながらチクリとチューシャを2回ほどされた。ド

ンドコと太鼓やらラッパの音が響くなか、気が付いたら、「抜けましたよ」と痛んで

いた奥歯をひらひら見せてくれた。

5日間、抗生物質の薬を一日3回分、感染症予防にと用意してくれたが、今回のチー

ムドクター大城和恵先生が私たちにもあります、というので日本から持参した薬を服

用することにした。

この奥歯と、そして暖かい日本から急激に寒いヒマラヤの高所へ直行したこと、さら

に疲労で、私はフラフラになって、ナムチェで定宿にしているサクラロッジへ戻っ

た。さほど熱は出ないものの身体がだるくてしょうがない。

歯の治療で1日余分にナムチェで休んでの出発。だけど急な登りでは、すぐにドキド

キ息切れがする。その日、およそ8時間の行程で標高3600㍍から4000㍍へむけての

キャラバンであったが、不整脈が5回でた。

それから5日間、毎日のように苦しくなりかけると、心臓が空回りして不整脈とな

る。大城先生が脈をとったり、バルスオキシメーターで測ったり、休んで水分補給…

まめにやってくれた。そのおかげで、3~5分ぐらいで収まる。これまでの遠征やト

レーニング登山でもたまに出ていた不整脈であるが、今回は頻繁におこる。

だがこのおかげで、一応今回の目標であったロブチェイースト(6119㍍)の登頂を最

終的に諦めることにした。ともかく早めに日本に戻り、手術をしよう。

今まで、東京で色々な心臓負荷テストを受けたが、一度も不整脈は出ず、先生方も、

まあ手術なしでも大丈夫でしょう…とおっしゃってくれた。しかし、やはり高所で、

疲れ、虫歯、風邪などが一緒になると、下界ではあり得ない症状が出る。

今回は、これらの症状がでてくれたおかげで手術の決心がついた。早速、前回2008

の遠征前に手術をしていただいた土浦協同病院の家坂先生へお願いする。

今回の遠征はこのようなわけで「成功」とは言えないが、来年のエベレスト本番へ向

けてすべきことに向き合うという、よい結果が出た。

 

***** 

 

おかげさまで、無事帰国できました。出発前に不安だったことの幾つかが解決されま

した。

それは心臓について、そして今後のエベレスト登頂への具体的なスケジュール、行

程、タクティックスなど、80歳で確実に登頂できる方式、そして無事に帰ってこれる

という手段。今までのエベレスト登頂の方式よりもかつてのヒラリー、テンジン、植

村直己、田部井淳子さんたちのやっていた方法、そして私達が1970年にエベレスト大

滑降のときのやり方。古きを尋ね、新しい可能性を見出す。

80歳のエベレスト、私自身の夢の希望の軌跡を確実なステップとして刻むために、必

要とされる発見が今回のロブチェイースト遠征にありました。ここにご報告申し上げ

ます。

20121110日 三浦雄一郎